長谷川町子
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
長谷川 町子(はせがわ まちこ)とは、日本マンガ界のゴッド・マザーである。その戦後マンガ界における巨大な足跡は「町子なくしてマンガなし」「マンガなくして町子なし」と言われ、その巨大な権力と野望、そして空気を読まない毒舌は日本中を震え上がらせた。代表作に「サザエさん」「意地悪ばあさん」「エプロンおばさん」。
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[編集] 日本マンガ界のゴッド・マザー
戦後の混乱期、「カツオ、闇市いくわよ」というサザエさんのセリフから日本の戦後マンガ史は始まった。以来、地方紙の夕刊フクニチからデビューし、全国紙の朝日新聞で四コマ連載を続けた「サザエさん」は文字通り30年以上マンガ界を支配下に置いた。フジテレビで流す日曜日のアニメは常時20%台を記録し、あわせて火曜日のサザエさんもゴールデン・タイムでの再放送なのに高視聴率をはじき出した。その波に乗って印税、キャラクター使用料で巨額の富を産み、「ゴッド・ハンド町子」「金満マチコ」とあだ名されたこともあった。向かうところ敵なしのこの勢いは、出版業界、マスコミ業界の頂点に長谷川町子を君臨させることになったのである。町子がのぞめば、東芝の新製品は常に届けられていたし、町子とトラブった編集者や業界人は、干されて二度とその業界の敷居をまたげなかったという。
[編集] サザエさん御殿
東京世田谷、東急田園都市線の桜新町駅から程近い閑静な住宅街に「サザエさん御殿」とも呼ばれる長谷川町子の旧宅がある。現在は長谷川町子美術館となっているが、世界一豪華な美術館として知られている。黄金でできた全長5メートルのサザエさん立像は、旧ソ連のレーニン像に負けない迫力と威厳を持っている。なお桜新町からまでの道は「サザエさん通り」と名づけられ、各商店街には「サザエさん」の顔のついたサザエ旗を常時掲揚することが義務づけられている。一時は長谷川町子の意向で、「サザエさん通り」の街灯の電球を全部「サザエさんの頭」型電球にしようとの案も持ち上がったが、地元住民の流血をも辞さない反対運動の末、「波平の頭」型電球で妥協することとなった。「どう見ても普通の電球じゃないか」と指摘した者は検閲により削除。
[編集] 「サザエさん」をめぐるアンビヴァレンツな感情
とはいえ「サザエさん」には複雑な気持ちを持っていたようで、マンガの締め切りが厳しい時には目を血走らせて、「サザエを殺してあたしも死ぬッ!」と半狂乱になり、何度か休載したこともあったという。夜中に一人で起き出して「サザエ嫌い」と原稿に殴り書きしていたというのもこの時期のことと考えられている。また怪情報では締め切りに苦しんだ町子が、「サザエさん通り」の住宅にスプレーで磯野家メンバーの顔を落書きしまくり、脇に「町子参上」とか「サザエ上等」という巨大文字を書き添えていたと伝えられている。しかしこれは信じるに足りない都市伝説であろう。よく知られている話では「サザエさん」よりも「意地悪ばあさん」が好きであったとされている。実際まさしく「意地悪ばあさん」そのもののような性格であり、青島幸男扮するばあさんに「意地悪が甘いわね・・・もっと徹底的にやりなさいよ、全く・・・」と手厳しい評価を下していたといわれている。
[編集] 長谷川町子語録
~ アニメのサザエさん について、長谷川町子
~ 東芝 について、長谷川町子
~ 手塚治虫 について、長谷川町子
~ 赤塚不二夫 について、長谷川町子
~ ドラえもん について、長谷川町子
~ 宮崎駿 について、長谷川町子
~ ハウルの動く城 について、長谷川町子
~ 同人誌全般 について、長谷川町子
~ 朝日新聞の掲載 について、長谷川町子
~ 「サザエさん」のコンセプト について、長谷川町子
~ 日曜日のサザエさん について、長谷川町子
~ 「サザエさん」のサインを欲しがるファン について、長谷川町子
~ まいっちんぐマチコ先生 について、長谷川町子
~ 蛭子能収 について、長谷川町子
~ オタク について、長谷川町子
~ サザエさんの本質 について、長谷川町子
~ 要らない漫画家は国外追放すること について、長谷川町子
[編集] 各界からのコメント
~ 長谷川町子 について、織田信長
~ 長谷川町子 について、足利義昭
~ 長谷川町子 について、真紅
~ 長谷川町子 について、オスカー・ワイルド
~ 長谷川町子 について、磯野波平
~ 長谷川町子 について、魅上照
[編集] 関連項目
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